周回遅れの学び

悪口は言いません、が、提灯持ちでもありません。

内村鑑三「後世への最大遺物・デンマルク国の話」

先日観た『ある人質』に触発されて、「デンマークの話があったなあ・・・」と思い、本棚から引っ張り出して読んだ。

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

  • 作者:内村 鑑三
  • 発売日: 2011/09/17
  • メディア: 文庫
 

デンマークの話よりも、やはり前者「後世への最大遺物」の方に触発されるところが大きかった。

僕は、亡くなった母親のこと、死んだ飼い犬のことを折に触れて思い出す。

そして、物質的にいないという意味での「無」を、何となく実感した気になる。

でも、離れて暮らしているときに、半径5m内の日常にはいないという意味での「無」と大差ない気がしないでもない。

ただ一つ確実なのは、「かつては存在したが、今は存在しない」ということ、しかし何かを残してくれたということである。

 

さて、「後世への最大遺物」は、内村鑑三の講演録である。

文字通り、人が死んで何を生きた証として残せるか?について、聴衆と対話するかのごとく進んでいく。

まず誰もが思いつきそうなものとして金を、ついで事業を、文章をと検討が続く。

これらを残すことの可能性について、残せるとして最大足りうるか?ということを丁寧に説く。

そして、これらを否定した後で、これなら誰しもが残せるのでは、しかも最大のものなのでは、ということを熱く語る。

じつに話が巧みで、わかりやすく、引き込まれていく。

著者の存在自体が、主張の正当性を裏付けていると言ってよいだろう。

だからこそ、130年近く前の講演録が今も売れるのだ。

これまで講演や講座に参加したり、本を読んだりしてきた中で、受け手をアジテートできる人間は極めて少ないと思っている。

内村鑑三がどういう人だったのか、改めて興味がわいた。

生きることに退屈を感じたり、疲れている人にはおススメの本である。

 

 

 

佐倉統「科学とはなにか」

昨年来のCOVID-19をめぐる世界各国の動向を見るとき、各国での政治のリーダーシップや法体系に加えて、国民の科学的リテラシーや、いわゆるリスクコミュニケーションのあり方も評価軸に加えてよいだろうと思う。

人口に膾炙した「PCR検査」、「コロナウイルス」、「ワクチン」などは、医学や生物学に由来する用語であるが、それらを僕はどのように知り、またどの程度まで知っているか、その正確性については、はなはだ心もとない。

知ることが大切だと改めて思う毎日だ。

コロナウイルス以外にも、5G、AI、EV、量子コンピュータなど、我々の生活を取り巻き、また今後大きく影響をもたらしそうなものについて、いかに接していくべきかを知ろうと思い、本書を手に取った。

著者は、河合雅雄のもとで霊長類学の研究に携わった後、科学と社会のかかわりに問題意識を寄せ、研究を重ねてきた東大教授。

科学史を軸に、社会が科学にいかなる関心を寄せ、それらに科学がいかに応えてきたか、数々のエピソードを挟みながら、今日に至るまでの道のりを語っている。

帯にもある「科学技術」は、「科学」と「技術」を組み合わせた造語であり、しかもそれぞれが意味を持つことなど、恥ずかしながら認識を新たにさせられた。

全体の体裁は、学術書ではなく、エッセイの趣すらあってサクサクと読める。

しかし、科学はネットワークを形成し生態系に擬せられること、現在の形は進化の結果であること、最後に、生態系を飼い慣らすように科学も飼い慣らす必要があること、とりわけ最後の点において、専門家にゆだねるだけでなく、市民的活動も科学に貢献しうることなど、新たな見方を知ることができた。

 

科学史の展開だけでなく、最近の科学の動向も触れられていて、将来のある高校生や大学生が読むといいと思う。

科学論文はいかにあるべきか、日本で科学を研究することの大変さに加えて、日本が得意とすべき科学領域など、科学史に精通した著者ゆえの見解も述べられている。

最後の点なんかは、勤め人が読んでも、有益だろう。

 

映画「新聞記者」

明らかに安倍内閣で起こったことに着想を得ていると思われた。

新聞記者

新聞記者

  • 発売日: 2019/10/23
  • メディア: Prime Video
 

政権批判と目されかねないのに製作した気概を称えたい。

出演する女優がいなかったのだろうか、東都新聞の吉岡記者(シム・ウンギョン)の設定にいささかの無理を感じないでもない。そのため、すご腕新聞記者の活動というよりも、彼女自身のバックグランドをもふまえてのある種の成長物語となっていると思う。

内調に在籍する外務官僚・杉原(松坂桃李)についても、外務省時代の上司の苦悩を知り、個人的な思いと組織が求める職責との間で葛藤するさまが描かれ、こちらも同じく成長譚とも言えるだろう。

松坂桃李という人は、きれいな顔をしながらも、さまざまな役に挑んでいて意欲的な俳優だと思う。

しかし、今日、「ある人質」を見た後では、表情、すなわち非言語的コミュニケーションという点で、欧米人には負けてしまうと感じざるを得なかった。

やはり、彫りの深い顔立ちの方が、浮かび上がるしわ一つで、喜びも苦悩もよく伝わってくるというものではないだろうか。

ただこれは、当然ながら、松坂桃李個人の問題ではなくて日本人の顔の表情全般に言えるのだと思う。

私たちは顔で表情を伝える、また読むことが少ないからこそ、マスクを嫌がらないのでしょう。

さて、内閣情報調査室の仕事が、作中のとおりであるとすれば、政府全体でエゴサしているようなもので、滑稽極まりないと思う。同時に、ああした仕事に多くの人間が盲目的に従い、今後、デジタル化推進により、管理される情報が増大するとしたら、非常に不気味だ。

物語よりも、こっちの方が気になった。

 

 

映画「ある人質 生還までの398日」

デンマーク人報道写真家が、ISに誘拐され解放されるまでの一部始終を実話に基づいて映画化した作品。

398-movie.jp

ISをめぐっては、複数の欧米人ジャーナリストや記者が殺害されたことは記憶にあったが、彼らがいかなる人質生活にあって、その家族がいかに混乱していたのか、映像で見せられて言葉に詰まった。

本作のデンマーク人、ダニエル・リューは、体操でデンマーク代表に選出されるほどだったが、けがにより選手生活を断念し、駆け出しの報道写真家のときに、シリアに向かった。

その動機は、本作を観る限り、危険地域に足を踏み入れたいというものではなく、戦火の下で暮らす市民の生活をフィルムに収め、世間に知らせたいという、ジャーナリストらしいものであったようだ。

トルコからシリアに足を踏み入れたときは、「自由シリア軍」の許可証を手に、ガイドや警護、運転手と一緒であり、準備が足りなかったとは思えなかった。強いてあげれば、自由シリア軍とISの勢力を的確に分析し損ねた点が甘いのかもしれないが、転々と推移する状況をまえに、それを的確に判断することは酷と言うべきだろう。

つまり、責任を問われる行動とは、シリアに入ろうと出かけたことだけだ。

むしろ、ほとんどは誘拐の「被害者」でしかない。しかも、相当手荒く扱われた、だ。

 

日本では「自己責任」が声高に叫ばれ、政府の対応もはっきりしなかったが、デンマークは「テロリストとは交渉しない」姿勢を貫いた。

そうしたなかで、身代金を工面するためにいかに家族が奔走したか、これは作品の見どころの一つと言ってよいだろう。

本作は世界市場も意識しているからであろうか、ジェームズ・フォーリー記者の存在をクローズアップさせているが、これも効果がある。

全体として、面白いとか楽しいではない。

しかし、テンポよくサスペンスフルにすすむので、「退屈」はしない。

 

グローバル化した今日、個人が国家や大規模組織と戦う局面がしばしば見られる。

本作でも、政府が行動を控えたがために、家族が前面に出てこざるを得なかった。

そして、政府の行動には、身代金の調達やそれを渡すことが、テロリストの支援につながるという理屈に基づくものであり、とりわけ後者はそのとおりであろう。

一方のテロリスト側は、イスラム教徒を殺害したとしていくつかの国家を名指しし、その復讐をその国の国民に果たそうとする。

国境で画された国家の存在感が希薄したというべきか、あるいは個人が国境を容易にまたげるようになったことでその存在感を高めつつあると言うべきか。

おそらく、どちらもそのとおりなのだ。

そうしたなかで、市民いや一国民としていかに行動すべきか、生きるべきか、自分の思考や姿勢も、国家と個人という枠組みを超えた何かを見つけたいと思った。

 

 

 

 

映画「沈まぬ太陽」

WOWOWで録画。山崎豊子原作、2009年公開作品。

沈まぬ太陽

沈まぬ太陽

  • 発売日: 2020/03/01
  • メディア: Prime Video
 

WOWOWのドラマを見ていたため、物足りなさが残った。

恩地と行天、国民航空と遺族、政府と国見会長など、さまざまな対立があるはずだが、どれもが中途半端な感じが否めない。

恩地の会社員としての前半生すなわち海外僻地を転々とすることを強いられたことで培われた人間性が後半の生き様につながり、それが胸を打つのだが、そこもやっぱりドラマに比して乏しい。

もっとも、原作を、全20話でドラマ化するのと、3時間半近くの映画とではその濃さに違いが生じるのは致し方なく、より多くの人に作品に親しんでもらうという点で映画化を選択したのは合理的だと思う。

 

フィクションとは言え、日航ジャンボ機墜落事故日航をモデルにしているのは明らかで、日本航空の人にとっては、不愉快極まりない映画なはずだ。

だが、いわゆるナショナル・フラッグ・キャリアであったことからすれば、社会からの批判にさらされることは当然のことと思われる。この点は、東電も同じだ。

 

さて、企業と政官界とのつながりが本作のようであったとすれば、いわゆる「調整型」の森喜朗のようなタイプが重宝され、やがて権力を束ねていくさまも想像に難くない。企業の日常を舞台にした作品をみる楽しみは、社会のありようにまで想像力が羽ばたいていくことにある。

たとえそれが妄想に過ぎないにしても、オルタナティブな社会があり得ることを自覚することは、生きていくうえで何がしかの効果はあろう。

 

映画としては、あくまでドラマを視聴した人間としては、残念ながら厳しめの評価だ。

 

小倉加奈子「おしゃべりながんの図鑑」

日本人の死因を調べると、悪性新生物が1位で、次いで心疾患、そして一昨年老衰が3位となっている。

要は、現代の日本人の多くが、悪性新生物≒がんで死ぬ可能性と無縁ではないと言ってよいだろう。

そのがんとは何か、どのような状態なのかについて書かれた本である。 

おしゃべりながんの図鑑 病理学から見たわかりやすいがんの話

おしゃべりながんの図鑑 病理学から見たわかりやすいがんの話

  • 作者:小倉 加奈子
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

治療法や予防法について啓蒙するものではなくて、病理医である著者が、「がん細胞」についてイラスト入りで解説したものになっている。

先ごろ読んだ、吉森保『ライフサイエンス』では、細胞のオートファジーについて述べられていたので、そのつながりで手に取った。

がんは、細胞の「異型」の程度と「分化度」を見て、そこに「組織型」を加えて、いわゆる「顔つき」が診断されるというロジックがよくわかった。

そして、そうしたがん細胞の発生には、遺伝子異常が関与しているということも、当然ながら書かれている。

もっとも、そうした研究の進歩は、臨床の現場で、脳腫瘍では遺伝子検査も欠かせなくなっているという状況にも役立てられているという。

 

本書を読んで、あらためて細胞の不思議さを思わずにはいられない。

僕は、せいぜい垢をこするときにぐらいしか細胞を意識することはないままに暮らしている。

しかし当然ながら細胞なくして自分は生きていられず、というか存在し得ない。

また、細胞を意識したところで、自分に出来ることなんて何があるのかと思わずにもいられない。無力。

にもかかわらず、無意識下にある細胞が、まるで意趣返しかのように悪さをする。

悪さと言っても、昨今改めて注目を集めている「ヒーラ細胞」が示すように、無限の増殖能を持ち、生命を永らえさせるという点では完璧なかたちになり果てた末のことである。

37兆の細胞からなる人間の、ある意味で理想の状態を、細胞レベルでは実現しているということである。

しかし人間は、細胞、組織、器官からなるものの、どういうわけか「こころ」を持っている。

そして、おそらく「こころ」が、がんと向き合ううえで大きく影響するのだと思われる。

 

素人が、がんの発生や病態について知るという点では十分な内容だと思う。

阪大の仲野教授との対談も興味深い。

AIが進化すると医療がどう変わるのか、細胞から遺伝子レベルにまで突っ込んで医療を施すようになるとはどういうことなのか。

こういう将来を見届けられるくらいまでは生きていたいと思う。

 

井上理津子「さいごの色街 飛田」

森喜朗の「女性蔑視」発言は、自らの会長職辞任で幕引きと言ったところだろうか。

生物学的な性は、その肉体的特徴に表れるものの、その人の心理的あるいは認知的な性は、外部からは容易にうかがい知ることができない。

しかし、昨今は、LGBTQといった自認に基づく性カテゴリーが広く認知されるに至り、それらを自らオープンにすることも珍しいことではなくなりつつある。

このように、生物学的性に一致するにせよ、しないにせよ、自らの認識をともなって性が決定されるとすれば、認識する自分は、本来、性的に中立な存在というべきなのかもしれない。

ところが、こうして操作を施している言葉自体、「ボーイッシュ」にある種肯定的な意味を与えることがあっても、「ガーリッシュ」は使われない。「男勝り」とは言っても、「女勝り」とは言わない。むしろ「女々しい」に否定的な意味を与えている。

すなわち、認識、思惟するうえでの道具でもある言葉自体が、いわゆる「男性」が使うように進化してきたとも言いうるのであって、であれば、こうした言葉の上に成り立つ議論は、慎重さを要すると思う。

 

さて、いくらこうしたことを考えるにしても、一歩街をあるけば、男性向けの性風俗店があり、ネットの世界でも、男性向けのアダルトサイトはいくらでもある。

さいごの色街 飛田 (新潮文庫)

さいごの色街 飛田 (新潮文庫)

 

本書は、大阪は西成区の「飛田新地」を、女性の筆者が足掛け10年超、取材した内容をまとめたものである。

料亭の経営者や曳き子のおばちゃん、かつて登楼したお客、近所の小料理屋のマスターら、いろんな人が出てきて、それぞれの飛田新地があることがわかる。

「エロ」目線で売春の実態を探るのではなく、そもそも飛田新地とは何なのか?という素朴な問題意識に基づくものであり、読み手の性を問うものではない。だから、女性でも読めると思う。

こうした職に身を置く女性の境遇や性行為の実態、それに対する警察の対応など、「そりゃ、そうだろ」と思われることばかりである。

だが、興味深く読んだ。

こうした商売が何十年にもわたって続けられていて、とくにかつては女性が「身売り」されてきたということ、現在でもこうした環境から脱せないままにいる女性たちがいることなど、「生の」現実の重さを前に、社会改革を叫ぶ言葉も力を失いかねない。

その現実の重さを伝えることに成功しているという点に、著者の力量が感じられる。

 

白いジャケットやスーツを身にまとった議員も、ここで働く人も、女性である。

森喜朗を非難しながら、性サービスにお金を費やす男性だっていることだろう。

 

黙っていることは必ずしも賛同を意味するのではない。

黙っていることは反省の証でもあると思う。